ACではない人に理解を求めるのは酷
ACのことを「知ってもらう」のは良いが、
「理解してもらおう」とすると問題が起きる。
ACのことは、ACの人に理解してもらおうぜ、という話。
これは、ACの人たちが現実的に上手に生きていくために
必要なことじゃないかと思う。
私はあるときまで、誰かと付き合ったり親しくなるには
絶対にACのことを理解してもらう必要があると思っていた。
それくらいに自分の根底にあるものだったから、
「ACを理解してもらえない」=「自分を理解してもらえない」
という考えだった。
結婚に伴い、ACのことは将来大きな問題になることが目に見えていた。
だから、妻に必死に理解してもらおうとしていた時期があった。
でも結果的に、妻には理解できなかった*1。
ACを知らない人にとって、ACは言い訳にしかならない。
ACではない人に、ACをどうにかすることはできない。
妻とACの話をすると、「それで私はどうすればいいの?」と言われたものだった。
私が実家とうまく行っていない言い訳にしか聞こえなかったんだろう。
そしてあるとき、私は妻に理解してもらうことを諦めた。
そんなんで夫婦はうまく行っているか?
答えは、なぜかイエスだった。
これは自分でも非常に意外なことだった。
理解してもらわないほうが、むしろうまく行くなんて*2。
きっとACの人たちは、その孤独と困難さから
「誰かに知ってもらいたい、助けて欲しい」という欲求をもちがちだと思う。
でも相手の気持ちになってみれば、困ることもあるって事だ。
そんなこと相手の立場に立って考えてみれば当たり前なのかもしれないが、
自分はこの年になるまでそれを理解できなかったんだ。
ACのことはACの人に理解してもらう。
これが一番ではないかな。
幸い、そういう人たちに出会えたこともあって、
心の荷は随分と軽くなったのだった。